2015年3月23日月曜日

Seeing The West Vol.2-2 Amtrak 2



Amtrak  Sunset Limited  アムトラック サンセット・リミテッド号
カリフォルニアからニューオリンズまでアメリカ大陸をほぼ横断する。
本来はフロリダ州のオーランドからニューオリンズ経由でロサンゼルスまでの運行だが、
ハリケーン・カトリーナ等の影響により、現在はロサンゼル〜ニューオリンズ間の運行であるそうだ。

前半の大部分はテキサスの砂漠を時折無心で眺めた。
そして、国内時差のあるアメリカ、横断中は緯度経度の経線を横切ることになり、時間の感覚がワケワカラナクなる。(説明しづらいので省略!)あるいみ時間旅行。それがかえって面白かった。

駅の間隔も遠いし、各駅停車ではなかった。
それでときどき主要駅などで停車する際はSmoking Time〜と車内放送が流れる。
Iさんはタバコが好きで、Smoking Timeになるとウキウキしていた。



こんな光景も。

そして、興味深かったのはちょうどメキシコとの国境を走行する区間に差し掛かった場面だった。
エル・パソという駅。

El Paso







茶色い柵の様なものが国境のフェンス。初めて「国境」眼前に見た。
日本という島国育ちには、貴重な体験である。
そしてその向こうに見える集落が、まさにメキシコという国。
その暮らしぶりは、見ての通り。
アムトラックの進行方向、右側にメキシコと、左側にアメリカ、その貧困の差があらわになる。こういった説明もIさんがしてくれた。写真は比較になっていないけれど、すべて右側の風景。

ロサンゼルスのダウンタウンを探検した日のことを思い出した。
国境を越えて生き延びようとする移民。そのひしめき合いが聞こえてきそうだった。
複雑な心境だった。

そして、少し早めのDinnerへ。
と思いきや、Iさんが予約のことでスタッフの人ともめてしまい、たらい回しにされた挙げ句対応が悪いと言って怒り食堂車で食べるのをやめてしまった。やはりお人好し日本人とは違い出るところ出ます。しかたなく、夕食は売店で買うことにした。

そして、シートにもどり、再び陸続きの風景。



ここで!!


虹が!! いやいやよく見ると…


Double Rainbows !!  

Oh my god !!  突然あらわれた二つの虹にIさんも周りの乗客も興奮!!
Over the rainbow が聴こえてきた。あまりの感動で涙。。
これからの旅に希望の光が射した気がした。ありがとう、と感謝の気持ちがこみ上げた。



だんだん暗くなる頃、Iさんが旦那さんや通り過ぎる駅ごとにその近くに住んでるという親戚に電話かけたりするのを聞いていた。ときどきスペイン語がまじり面白い。

私は夕食にホットドッグを食べたが、Iさんは隣で早めに寝てしまった。
と思ったが、夜になるにつれ、Iさんの様子がおかしいと気づく。明らかに具合悪そうであった。ブランケットにうずくまり、寒がっている。
私はとても心配したが、Are you OK? などしか聞くことができず、もどかしかった。
その夜は、隣でIさんを見守りつつ眠りについてしまった。


朝、何時かよくわからないまま起きて、景色の見える車両へ気分転換しに行った。
Iさんの具合も良くなり、ほっとした。



はじめは砂漠だった景色にも、だんだんと緑が増していく。


そして、主要駅のヒューストンに到着。ニューオリンズが近くなってきた。



アムトラックは長距離運行なだけに、大幅な遅れが出るのが当たり前で、ひどいと12時間遅れということもあるとのネット記事を読んだりしたので、常時心配していた。
なぜなら、到着が夜遅くなりすぎると、ホステルのチェックインに影響する。夜遅ければ駅から宿までをつなぐタクシーは走ってないだろうし、最悪チェックインできず、キャンセルの対象にもなる。電話やネットが使えなかったこともあり、全く調整不能だったのが苦しかった。
ニューオリンズに近づくにつれ、到着時間がどのくらい遅れるのか、不安が募った。

Iさんも同じだった。
Iさんはニューオリンズに着いたら、駅のそばのホテルに1泊し、また朝早く起きて別の汽車に乗りニュージャージーに行くという予定だった。そのため、汽車が大幅に遅れれば、ホテルのチェックインはおろか、ニュージャージー行きの汽車に乗り継ぐことが出来ない。

色んなリスクをはらんでいたが流れに任せるしか無かった。
そんな心持ちの中、アムトラックでの最後の日を過ごした。

そして、この日は到着前にディナーを早めにということで、(前日の失敗をふまえて)きちんと予約し、遂にディナーにありつくことができた。



野菜パスタ!このインゲンみたいなのが多かったなあというのが思い出。

このディナーの時だったか、オーストラリア人のご夫婦と相席になり、少しお話しできた。Iさんはトラベル情報をひたすら聞いていた。私はニューオリンズに行くことを話すと、誰も信じちゃだめよ、みたいなことを言われた。そんなに危ないのかと、改めて身が引き締められる。

ディナーのときに、窓の外に川が覗いた。海の予感がした。



席に戻り、あとは到着を心待ちにするのみだった。
どうやらそこまで遅れは出ていないらしい。

アムトラックの旅も終わりに向かっている。

Iさんとはこの2日間とにかく色んな話をした。
私が歌を歌っていることや、ひとり旅をする理由など、真剣に聞いてくれた。言語の違いなど気にならないくらい寄り添ってくれたのだ。到着は待ち遠しいけれど、この2日間が終わるのがやはり寂しかった。もちろん私たちは連絡先を交換した。



ミシシッピの河口らしき風景



夜も深まり、時差によってあと何時間で着くのかよくわからないまま、私たちは次第に無口になった。到着を目前に、それぞれの明日に思いを馳せているようだった。
Iさんはニューオリンズに着いたあとの私のことを心配して、懐中電灯をくれた。
本当は娘さんがIさんを心配して用意したものだったのだが、あなたの方が必要ね、といってくれて譲り受けた。闇夜を照らすスモールライト!心強いお守りをもらった。


あと2・3時間かと思っていたら、ついにアナウンスが流れた。

まもなくNew Orleans!!




乗客が荷物をまとめはじめ、すでに出口へと向かっていた。いっきに人が押し寄せたので、スタッフが乗客へ席に戻るように案内を始めた。この待ち時間がとても長く感じた。


私とIさんのシート。

そして、遂にニューオリンズに到着した!
まる2日間のっていたアムトラックを降りた。
すると、蒸し暑さが押し寄せた。
ここは、ニューオリンズだ。 

最後にアムトラックをパシャリ


深夜のロビー


Welcome to New Orleans !!  Jazzの街



晴れやかな気分だったが、夜も深いのですぐに移動しなければならない。
幸い電車の遅れは問題ないほどのものだった。

Iさんと私は一緒にタクシーに乗った。
Iさんのホテルは駅から近いのですぐについてしまう。
「日本に無事戻ったら、かならず連絡するのよ」と、Iさんは私に言った。
私は必ずすると約束した。

Iさんがホテルの入り口でタクシーから降り、ついにお別れをした。
2日間、本当にありがとう!!
感謝しきれない気持ちだった。
ニュージャージーまで無事につけることを祈った。

そして、ひとり残った私を乗せたタクシーは宿へと出発した。



こうして、アムトラックの旅は幕を閉じた。
本当に、今思い返しても2日間、濃い時間だったと思う。
Iさんが偶然にも隣の席にいてくれたおかげで、素晴らしい汽車の旅をいっしょに過ごすことができたのだ。私は本当に幸運だと思った。

ニューオリンズでも、大丈夫、と思えた。


もちろん、旅を終えて日本に帰ってから、Iさんに無事に帰ったよとEメールを送った。
返事もきちんと来た。
無事を喜んでくれて、私たちはずっとFriendsね、とメッセージをくれた。

ちなみに懐中電灯は、幸い出番は一度も無かったが、今でも大切に持っている。


2015年3月22日日曜日

SAKURA, Tokyo 2015 Very soon !!


The green buds are getting pink.
Maybe in a several days,We can see Sakura,again.
I can hardly wait!

Seeing The West Vol.2-1 Amtrak 1

Jun. 15, 2014

6月15日、旅を始めてから2週間後
カリフォルニアでの滞在を終えて、午後10時、AmtrakはLA Down TownのUnionStationを出発。
New Orleansに向けて
まる2日間の汽車の旅がはじまった

薄暗い車内の中、自分のシートを探した。
荷物を落ち着かせ、席に着く。
汽車が動き出す。
と同時に、先ほどの別れ際からこらえていたものがどっと押し寄せ
涙が出てきた。
もう、号泣。。。
自分でも訳が分からないほど、涙があふれてきた。

そういえば、ひとり旅、だったのだ。
それまで、カリフォルニアでは短い時間ながらいろんな人とにお世話になり、優しくしてもらった。
ここで、あらためて一人になり、それまで平気だったはずの『ひとり』が急に
『孤独』に変わったみたいだった。

あまりにも泣き止まないからか
隣のシートの女性が
What's wrong ?
と声をかけてくれた。

私はこの時はじめて、泣きながら、心の底から英語をしゃべった。

あいむ...とらべりんぐ...ばい まい せるふ...
あい みす... まい ふぁみりー ...まい ふれんず

絞り出すように、やっとの思いだった。
自分の親世代ほどの年配の女性。
あいむ ふろむ じゃぱん。。身の上をすこし話すと、そうかそうか、というように理解してくれて慰めてくれた。

すると女性が
人生はいつでも選択なのよ
などと(もちろん英語で)語りかけてくる。

どうやら、ガンで危篤の母がいるのだが、友達の結婚式に出席するのと、自分の息子に会いにどうしても行かなければならず、母をおいて出発するという選択したそうなのだ。
それで、I was crying yesterday  と。
彼女は自分の母に「(行くか行かないか)お母さんが選んで」と決断をゆだねたようだが、行きなさい、という答えだった、と。

なんだかドラマみたいな展開に。その話もまたうるうるきて、私はふたたび涙していた。

そんな涙に暮れる中、そのまま寝てしまった。


アムトラック2日目。
朝を迎えた。汽車の中で目覚めるとは、なんとも不思議な気分だった。
隣のシートの女性も起きていた。私の気持ちも落ち着いていた。
車内は割と寒くて、わたしはバスタオルをかけて寝ていた。
周りの乗客は用意がよく、枕や毛布を持ち込んでいる。
隣のシートの女性も持ち込んでいた。

女性は、I さん。
生粋のニューヨーカーだという。母はメキシコ人で彼女は英語もスペイン語も話す。
私もこの先NYに行くつもりだったのでその話も絡めて会話がはずむ。


私たちは朝食を一緒に食堂車に向かった。
アムトラックには景色を眺められるガラス張りの車両や食堂車、売店、とそろっている。
食堂車で相席になった母娘のお2人とも会話をした。
これからニューオリンズに行くことを話すと
Be careful と言われた。ニューオリンズに住んでいたことがあるらしく、パンフレットについていた地図に私の泊まる予定のホステルの場所×を書いてくれた。

ちなみに食堂車のメニューはわりと充実していて朝食としては3種類から選べた。
スクランブルエッグ的なものを食べた気がする。

アムトラックは、ゆっくり進んだ。
新幹線の速さではなく、急行〜特急くらいの速さだ。







Iさんには娘もいて、時々電話がかかってきた。
飛行機が嫌だったらしく、この汽車の旅の設定も娘にやってもらったとのこと。
英語とスペイン語まじりで話しているが、何やら私の紹介をしているようだった。
「隣に素晴らしい(beautifulとまで言ってくれた)日本人のガールがいるから心配ないわ」
みたいな。
私こそ、動揺していた気持ちが和んで、心強かった。

そして、忘れられない何とも深イイ話。
Iさんは大家族らしく、兄弟がいて、子供は4人いて、孫、ひ孫もいるのだけれど、子供は色んなカラーの方と結婚したから、産まれてくるその子供は肌の色、目の色がみんな様々で、本当に幸せだと。
My life is so beautiful !!
と語るのだ。家族を愛していてとても心の豊かな人だということが分かった。
思わず涙が出た。

アムトラックはゆっくり進んだ。
景色をみてもよし、考え事をしてもよし。本を読んでもよし。自由だった。
ただ一つ、NO Wifi だったので丸二日、ネット環境は遮断されたのが想定外だった。
それも手伝って、Iさんともゆっくりお話しできた。








Iさんが簡易テーブルの上に置いていた本が気になったのでそれは何ですか?と聞いてみた。今ベストセラーの本よ。とくに女の人は読むといいわ(耳元でコソコソ)
と教えてくれた。

とりあえず今度調べようということで表紙のみ写メをとっておいたのだけど、
そう、
今まさに実写映画が上映されている話題作「Fifty Shades of Grey」の2作目だった。
このときは本の内容も何もかもわからずだった。
日本に帰って、冬ごろに英語版を本屋で見つけて買ったはいいが放置状態だったところ、なんと実写映画が上映、という流れ。
映画の方が先になったけれど、年もあけて2015年、彼女のコメントの意味がわかった。
けっこう分厚いので、英語版読めるか心配だけど、チャレンジしたい。

アムトラックの旅はまだまだ続く。






2015年3月1日日曜日

春色にむかって

3/1、下北沢mona records、lunch live 終了!

お足下の悪い中お越しいただいた皆さん、出演の皆さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。

今日も雨でした。
出演の全員が雨の曲を演奏という、なんとも面白い運びとなりました。

これにて弾き語りライブ一段落。

いつも当日わたわたして写真を撮るのを忘れてしまう。
今度もらおう。



さて、3月。

春に一歩一歩、近づきましょう。

ひとまず、ギター練習しよう。
あと、美術館いこう。
あと、本読もう。
あと、映画みよう。
あと、コーヒー飲もう。

せっかくだから、ウキウキすることをする。
せっかくの人生だから。