2014年9月7日日曜日

Seeing The West Vol.1-5 San Franciscoその前に

Hollywoodを出発して、すぐにfree wayに差し掛かった


バスの窓の外は大自然。それだけ。人の気配がなく、ただただ、広い大地と湖。
ここで何かあったら、どうなっちゃうんだろう。と素朴なギモンが浮かんだ。




そのままハイウェイを掛け抜け、パーキングエリアでバーガーキングのバカでかいバーガーとソフトドリンクを注文し。。
drinkのセルフサービスなのが嬉しい、そして種類の豊富さが半端ない。
コカコーラだけでも6種類くらいあったな。一瞬、何がなんだかわからなかった。

そして、バスの隣の席になった中国人の女性と話も出来た。
プロフェッサーらしい。
そして誕生日が私の前日で一日違うことがわかった。奇遇ですね〜
中国の一人っ子政策のこととなど、聞けた。
あと中国でも女性の30歳というのは人生の一つの節目、として考えられているようです。

そして、サンフランシスコまであと1時間というところで、サンノゼに到着。
日本人の運転手さんに交代。そしてチケット拝見ということで。。
ふと、運転手さんが私のスマホ画面をみて笑った

「ふふ、これ間違ってるよ日付」

ん??
本当だ。だ、大丈夫???ここまで乗れたけれど。
あー。前日に急いで予約したので間違えたのだ。そしてなぜかiPhoneのカレンダーが実際の日付とズレていることもわかった。時間は自動で調整されるのに、カレンダーは日本仕様のまま。
ハリウッドで乗車する時、そういえばチケット拝見していなかった。
心配していたら隣で中国人の女性が大丈夫よ〜と言ってくれた。
運転手さんも見逃してくれてそのままバスは出発した。
ふ〜。このチェックのゆるさのおかげで終点まで乗れたので、よかった。
日本じゃ絶対に置いてけぼりだったな。

そしてハイウェイを出た!


サンフランシスコはまるでヨーロッパを思わせるきれいな街並にテンションがあがった。
何と言っても坂、坂!
サンフランシスコは、坂とゲイで有名らしい。
ゲイにまつわるお話は、旅のあいだ頻繁に耳にした。色々な差別をなくすことを象徴するレインボーカラーの旗もサンフランシスコで目にすることになる。


到着したのは20時過ぎ。まだ明るかったが、徐々に暗くなってきていた。
まず、私が向かうべきは、スタバであった。
本日の宿が、ない。大至急探さなければならなかった。
スーツケースを引きずって、名物のケーブルカーを横目に、スタバ探しをする。
あった。けれどあまり席が無くて、窓際の段のようになっているところに無理矢理腰掛けMacを広げて、検索をはじめた。ラテを注文するも、味わうこと無く、かなり切羽詰まる。
そして近くでアジア系の男性が私を直視しているのにも気づいていた。怖いよ〜

恐怖と切迫感のなか空きのあるホステルを発見。そこから5分程度の場所だった。
スーツケースを引きずり移動。坂がキツイ。そしていよいよ暗くなっていた。
ホステルに到着。
つい10分ほど前に予約しました、なるべく女性部屋がいいです、と伝えると
あいにく女性部屋の空きはありません、と言われこの予約はどうなるのかと一瞬焦ったけれど、スグ近くに同じ系列のホテルがあるから、そこに行って下さいと小さな紙を渡された。金額も不明だし支払いがダブるのではないかと不安になったので言ってみたらDon't worry about it と言うので、信じた。
ホステルを出て1分くらいで案内されたホテルに着いた。ダコタホテル、聞いたことがある。
受付で経緯を伝えようとすると、落ち着いて下さい、Calm downと言われた。よほど焦りが出ていたようだ。

何はともあれ、寝床を確保。かなり疲れていた。
そして弟の友人と会う約束ができた。いよいよ次の日、楽しい観光がはじまる。


つづく to be continued



2014年9月1日月曜日

Seeing The West Vol.1-4 LA Downtown

旅を始めて一週間がすぎる頃、旅の生活にもなじみ、だんだん人とコミュニケーションとれるようになっていた。

といっても、留学経験ゼロだし、ただ学生時代から英語が好きでJAZZや英語の歌詞ならうたいます〜くらいの経験しかなかったので、TOEIC何点とか説明がつかない私の英語力。

学生時代ロンドン一人旅したときは、全然しゃべれなくて悔しい思いしたな、と思い出す。

けど、この旅をしていて痛感したことは、重要なのは英語力ではなくて意志を伝えることだということ。どんなに遠回りしても、知っていることを駆使して、こうしたいんです、というのが伝わればいいのだと解った。発音やら語順やら、気がかりなことは山ほどあるけれど、それよりも伝える意欲と辛抱強さ、だった。それがないと、本当の意味で英語がしゃべれるようにはならない、と学んだ。
語学よりも、態度。


そんなわけで、ハリウッド滞在後半は、LAの中心部ダウンタウンへと出かけていった。

—ダウンタウンはマジで怖いからほんと気をつけな、という兄弟の助言を聞きつつ、どこが怖いのかも具体的に調べつつ、地下鉄で向かった。



午後13時過ぎ、その日は週末で、ビジネス街のダウンタウンは閑散としていた。
見回しても、私のような観光客がちらほらいるくらい。



LAにある日本街的な場所、リトル・トーキョーを目指して進んでいたけれど、なかなかたどり着けず。
Wi-Fiルーターがなくグーグルマップを起動する、などが不可能なので、Wi-Fiのあるホステルで下調べしてから地図やネットのページをあらかじめ写メして保存するというのが常だった。
それで、あらかじめ写メした地図を便りに歩いたけれども、どうもおかしい。
リトル・トーキョーがみつからない。

おかしいな、と思いながら、強い日差しに負けないようにサングラスをかけて、ダウンタウンを南下した。早歩きで。誰とも目を合わせない。
それまでのモダンな雰囲気がなくなってきた。
カメラもサッと撮って、サッとしまう。


移民街らしきところを左脇にチラ見しながら歩く。





さすがに歩き疲れて、スタバを探すけれど見つからない。
そこを脱するにはやや危ないストリートを曲がらなければならず、息を止めながら右折。
薄暗い建物には檻がついているし、落書きが多いし、何か危ないものが落ちていそうだし。人はほとんど歩いておらず昼でも気味が悪い、絶対に夜は歩きたくない。

なんとかWi-Fiのあるカフェを発見し、駆け込む。
何か叫びながら変な人が一緒に入って一瞬怖かったけど、店員さんはさほど驚いておらず、距離を置いて無視してしばらくしたら出て行った。

アイスコーヒーで一息つきながらWi-Fiで再度検索。

げっ!!
先ほど南下していたアベニューの左側はまさにスキッド・ローという危険な区域だったらしい。すれすれのところを歩いていた。
もう、間一髪!下調べが足りていなかった。
興味本位で入っていかないで、よかった。
果物を売ってるお店とかが多くて、表面的には危ない雰囲気はしなかったけれど。
誰とも目を合わせず、ひたすら南下してスルーして正解だった。


いっき疲労が押し寄せ、帰ろうかと思ったけど、リトル・トーキョーの位置がわかり、再度ちがうアベニューから北上することに。






ときどき、ストリートの左右を見渡すと、やはり怪しげな気配がした。



地下鉄からあがって最初についた場所まで戻った。そこから、リトル・トーキョーまで歩いて10分弱。先ほどは道を曲がるのが早すぎたようだ。

歩くと、だんだん日本語表記が増えてきた。交番発見。(本当の交番ではない)

(旅中、交番をみたのはこれが最初で最後だった、海外にはほとんどないらしい)

日本のお土産屋さんも発見。銀座も発見。



鳥居のような日本的オブジェも発見。


リトル・トーキョー
その中だけ見ると、本当にそこだけ思い切り「日本」だった。






ちゃっかり、100円ショップでお買い物した。
日本の100円ショップ、そのものだった。
店員さんも日本人。レジで「ありがとう」とややドヤ顔で言ってみたけど、リアクション小さくて残念だった笑

こんな光景も



アニメ文化的、なにかのイベントがあったらしい


その名のとおり小規模でリトルなトーキョーでした。
雰囲気もちゃんとトーキョーで安全だったけれど
わりと危険区域スグそばに面していた。

一つ通りを隔てるだけで、全然違う。

その日は早めに切り上げて、次の日サンフランシスコに出発予定のため、バスを必至で探した。次の日の、バス。とりあえず、サンフランシスコには兄弟の紹介による宛がありそうだったけど、まだ連絡が取れていなかった。

そして、その日の夜ホステルのキッチンでひとり旅をしているという2人の女性にであった。
コミュニケーションは、英語と、日本語で。

2人のうちのひとりは韓国人で、日本にも少し居た、という主婦の方。
私の顔を見る無いなや、あなた沖縄でしょ??みたいに聞いてきた。
半分そうだけどわかるものなのかしら、と思いつつ実はマイマザーが…と言ったら、やっぱり、のような反応。たまに聞かれるけど、外国で真っ先に聞かれるとは思わず、びっくり。
逆に、私が西洋人の方をみても、どこ出身かなどすぐには分からないのだけど
徐々に旅をするうちに、なんとなーく、勘が働くようになったのも事実。

もうひとりは日本人で年も近い方。
日本人で、ひとり旅で、しかも女性、に出会うことは皆無だったので、嬉しかった。
とても仲良くなって、いろんな話をして、旅の不安も吹っ飛んだ。
次の日も朝スタバでおしゃべりして、その後サンフランシスコ行きのバス停まで送ってくれた!
離れたところに住んでいるけど、絶対にまた会いたい!

そして、ついにサンフランシスコの方と電話でつながった!
公衆電話の使い方がわからず、その辺のビラ配りのお姉さんに聞いて、なんとかつながった。
日本人の旦那さんと、ベトナム人の奥さん、というご夫婦。会うのがとても楽しみだった。

そして、7時間のバスの旅に出発した!

サンフランシスコ編につづく